
練塀に沿って相生坂を下るとすぐに湯島聖堂の入り口になり、仰高門が見えます。
昭和10年鉄筋コンクリート造りで再建されたもので、一般見学者用の入り口になる門です。
額の「仰高」の文字は水戸徳川家第13代当主徳川圀順(くにつぐ)公爵が書いたものです。
関東大震災で焼ける前は、持明院基輔郷の筆だったそうです。

仰高門をくぐり斯文会館を右手にみながらすすみ、楷の木にぶつかったらその横から透塀、入徳門(工事中)になります。
宝永元年(1704)建造の門で、聖堂のなかで唯一罹災を免れ現在まで残った建物ですが、今は工事中で見られません。2008年4月には修復された姿が見られるでしょう。
木造の平屋建て、切妻造。延面積14.16uと書いてありました。
入徳とは朱熹の「大学章句序」からとったものだそうです。上野忍ヶ岡の林家の先聖殿創建当時にも入徳門はありましたが、中国山東省曲阜の孔子廟にはないので、江戸官学、朱子学の影響ではないかと考えられるそうです。
額の文字は藤原基輔(持明院基輔)が書いたものだそうです。

杏壇門に入る前に「入徳門」をくぐり、手水舎で口をすすぎ、手を清めて参拝の準備をし、階段を昇って「杏壇門」をくぐり、大成殿に入るのですが、今は修理工事中で入徳門からは入れません。西門に回って杏壇門にむかいます。
杏壇門は間口20メートル、奥行4.7メートル、入母屋造り。鉄筋コンクリート造り、昭和10年に再建されたものです。
杏壇とは中国山東省曲阜にある孔子の教授堂(講堂)の遺址を瓦敷きにして壇(高台)とし、周囲に杏を植え、「杏壇二字碑」を建て、のちに門扉が設けられ、杏壇門の名前がつけられたので、そこからとって湯島聖堂でも杏壇門と言うのだそうです。
額の字は徳川宗家第16代の徳川家達公の筆です。焼ける前の額の字は藤原基輔(持明院基輔)の筆だったそうです。

JR御茶ノ水駅方向から湯島聖堂に向かうとこの聖門か、その先の西門から入るようになります。聖橋を通ってすぐ右手にあります。ここから入ると、階段を下りて入徳門、楷樹、孔子銅像に向かいます。

聖橋を渡り西門に向かうと、門の脇には湯島聖堂の案内地図があります。ここから入ると左に杏壇門と大成殿の屋根が見えます。

旧中山道、国道17号湯島坂からの入り口。現在は締め切って使われていません。丁度この門の対面に神田明神の大鳥居があります。