
神田明神 天平二年(730)の創建、約1,300年の歴史をもつ江戸東京の神社で最も古い神社のひとつです。
慶長八年(1603)徳川家康が江戸に幕府を開き江戸城が拡張されたとき、現在の地に遷り社殿が造営されました。
以後「江戸総鎮守」として幕府はもちろん、江戸庶民にいたるまで多くの人々に親しまれてきました。
大己貴命、(おおくにぬしのみこと)少彦名命、(すくなひこのみこと)平将門(たいらのまさかど)を祭神とし、家庭円満、商売繁盛、事業繁盛、心願成就(取引・勝負等)の神様として有名です。
特にお守りは徳川家康が天下分け目の関が原の合戦に望む際に、神田明神の勝守り(かちまもりを授与し勝利を得たことから縁起のよいお守りとして喜ばれているそうです。
御社殿は昭和9年(1934)権現造の鉄筋コンクリート・総漆朱塗で約十年かけて完成、東京大空襲にも焼けずに残りました。
平成15年に国の登録文化財に指定された見事な社殿です。

境内左手には石造りでは日本一の大きさを誇るだいこく様がいらっしゃいました。
一の宮 大己貴命(大国主命)で神田明神のご祭神です。
お正月が近いからでしょうか、大きな茅の輪が作られておりその輪をくぐってお参りする形でした。
その手前に写っているのは、お百度石です。時代小説にはお百度参りの話が良く出てきますが、ここで願をかけお参りするのでしょう。

神田明神のご祭神 ニの宮 少彦名命です。 大きな輪の形をした波の上に金色のえびす様がいらっしゃいます。波間にはイルカや亀が泳いでいるユニークなえびす様です。

社殿の右には文化財指定の獅子山があります。苔むした岩、流れ落ちる滝を見下ろすように山の上には獅子が彫られています。下には子供の獅子が上を見上げている構図です。
享保年間(1716〜1735)の作といわれています。関東大震災で損傷し、子獅子が紛失しておりましたが、平成2年に子獅子をつくり再建されました。
平成3年夫婦の石獅子2頭が文化財に指定されました。名工石切藤兵衛が生涯でわずか3つしか造らなかったものの一つとつたえられ、3つの獅子は「坂東三獅子」として有名だったそうです。

社殿の右脇には銭形平次と八五郎の碑がありました。「どうして?」と説明文を読んでわかりました。作家や出版社が建てたものだそうです。なんだか遊び・ゆとりがあって面白いです。
説明文
野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公、平次の住居は明神下の元の台所町ということになっている。この碑は昭和45年12月有志の作家と出版が発起人となり縁の明神下を見下ろす地に建立された。
石造りの寛永通宝の銭形の中央に平次の像、その右側に八五郎通称「がらっ八」の小さな碑が建てられた。」と書いてありました。
その碑の横に発起人の名前が書いてあり、作家達の名前や出版社、映画会社や映画俳優の長谷川一夫、大川橋蔵の名前もありました。映画全盛時代「銭形平次」役で活躍したからでしょう。
なぜか八五郎の字が斜めに書かれています。

境内の2箇所で見つけたおみくじの自動販売機です。 おはやしに合わせて獅子が踊りおみくじをくわえてきます。獅子の動きがおもしろくってしばし見ていました。