釈奠は中国で孔子をはじめとする先聖先師に、牛や羊などのいけにえを供えて祀ったことに始まるそうです。
現在の湯島聖堂の釈奠は、お酒、生鯉、野菜、おもちなどをお供えして孔子とその学問を顕彰する儀式です。
4月第4日曜日大成殿で行います。
平成2年4月22日の例
●「参会者来賓、祭主、、伶人」一同着席
「祭主」 斯文会会長 徳川恒孝(徳川宗家第十八代当主)
「祭官」 神官 神田明神の神官
●「修祓」(しゅうふつ)
「祭官」が祭場、参会者一同をお祓いして清める。
●「開扉(かいひ)・奏楽(そうがく)・警ひつ(けいひつ)」
「伶人」(雅楽の奏者)の「奏楽」にあわせて、神官が孔子の厨子の「扉」を「おお」と言いながら開く。
「孔子のお出ましだから気をつけよ」と告げる。
●「てん幣」(てんぺい)
神官が孔子の厨子の前の「案」(テーブル)に「幣ひ」(へいひ)をすえる。
幣ひのなかには、昔は絹織物が「五匹」入っていたそうです。
今は奉書紙が五枚巻いて入れられています。孔子への手土産になるそうです。
●「祭文」
祭主が「祭文」(「祝文」のこと。孔子の霊にお祭りのことを告げる文)を奉読する。
上野忍ケ岡にある林羅山邸の先聖殿ではじめて釈奠を挙行したのは、寛永10年(1633)三代将軍家光の時代です。
湯島聖堂での第1回は元禄4年(1691)2月に行われた。将軍綱吉が長袴の正装で参拝し、その後孔子のお祭りを見たそうです。
以来幕府直轄の儀式とされ毎年春と秋に行われてきました。祭主は林家当主、大学頭が務め、綱吉をはじめ将軍も正装で参列したようです。
しかしこの儀式も明治維新の変革の中で途絶えてしまいましたが、明治40年(1907)有志により孔子祭典会が創立され、4月に明治維新後はじめての孔子祭が復活しました。
大正9年(1920)に財団法人斯文会が孔子祭典会を併合し、釈奠を継承することになり現在にいたっています。
「鍼ともぐさに感謝し鍼灸縁者の慰霊をする」ために、世話人会が発足し、平成12年(2005)5月に「鍼灸祭」を16年振りに復活開催しました。
以前は東京浅草の伝法院で”はり灸まつり”として、昭和40年(1965)から59年(1984)まで行われていたそうです。
5月第3日曜日に行われます。
「先儒墓前祭」は昭和7年先儒の遺徳を顕彰するために、東京市と斯文会が合同主催したことに始まります。
これ以降、昭和18年第12回まで続けられていましたが戦争で中断しました。
戦後昭和26年東京都、文京区、斯文会の三者共催で復活第1回の先儒祭を挙行しました。
その後は毎年恒例の行事として行われ、昭和40年代には文京区が後援、協賛となり、昭和50年代末からは斯文会独自で主催してきました。
10月第4日曜日の午前に行われます。
東洋医学の始祖、交易の神、商業の神と崇められる神農を祀る行事です。
11月23日(勤労感謝の日)に行われます。